東京地方裁判所 平成7年(ワ)4246号 判決 1996年2月28日
原告
淺羽俊子
右訴訟代理人弁護士
中井宗夫
同
武田喜治
被告
株式会社富士銀行
右代表者代表取締役
橋本徹
右訴訟代理人弁護士
海老原元彦
同
馬瀬隆之
同
若林茂雄
同
田子真也
同
半場秀
参加人
西宮守
右訴訟代理人弁護士
金住則行
同
渡邉彰悟
同
櫻田喜貢穂
主文
原告及び参加人の各請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告及び参加人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告の請求について
1 請求の趣旨
(一) 主位的請求
被告は、原告に対し、金四九一三万九五九一円及びこれに対する平成五年一〇月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
(二) 予備的請求
被告は、原告に対し、金四九一三万九五九一円及びこれに対する平成七年一一月一五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告の負担とする。
(四) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
二 参加人の請求について
(なお、参加人は、平成七年一〇月一二日の本件口頭弁論期日において、原告に対する請求を取り下げ、原告及び被告が右取下げに同意した結果、三面訴訟関係は消失した。)
1 請求の趣旨
(一) 主位的請求
被告は、参加人に対し、金三二七万五九七二円及びこれに対する平成五年一〇月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
(二) 予備的請求
被告は、参加人に対し、金三二七万五九七二円及びこれに対する平成七年一一月一五日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
(三) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 請求の趣旨に対する答弁
(一) 参加人の請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は参加人の負担とする。
第二 当事者の主張
一 原告の請求について
1 請求原因
(一) 主位的請求
(1) 原告は、淺羽陽(以下「陽」という。)の妻であり、被告は営業として銀行取引を行っている会社である。
(2) 陽は、平成二年一月五日、被告(経堂支店扱い。以下、同じ。)に対し、三三〇〇万円を定期預金として預け入れ、同年五月、右定期預金の元本に利息及び他の資金を加えたものを新たな元本として一か月満期の定期預金とし、その後も、満期の都度、被告との間で、元本を増額しながら書替えを行い、平成五年一〇月二五日までに、右定期預金の元本は五二三二万七一九三円、利息は八万八三七〇円、元利合計は五二四一万五五六三円となった(以下、この最終元本の定期預金を「本件預金」という。)。
(3) 陽は、平成六年一月二日に死亡した。
(二) 予備的請求
仮に、被告が、陽に代わり甲野花(以下「甲野」という。)に対し、本件預金の元利合計額を小切手金額とする持参人払い式自己宛小切手(以下「本件小切手」という。)を振出交付して右預金の払い戻しをし、これにより本件預金債権が消滅したとしても、原告は、被告に対し、以下のとおり利得償還請求権を有する。
(1) 被告は、平成五年一〇月二五日、陽に代わり甲野に対し、本件預金の元利金の支払に代えて本件小切手を振り出した。
(2) 本件小切手は、振出日である平成五年一〇月二五日から一〇日間の支払呈示期間内に支払呈示されなかった。
(3) 被告は、陽が呈示期間経過により小切手上の権利を喪失したことによって、本件預金の元利金相当額の利得を得た。
(4) 陽は、平成六年一月二日に死亡した。
(三) よって、原告は、被告に対し、主位的に、本件預金の元利合計額のうち参加人の請求する三二七万五九七二円を控除した残額四九一三万九五九一円及びこれに対する弁済期の翌日である平成五年一〇月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を、予備的に、利得償還請求権に基づき右残額四九一三万九五九一円及びこれに対する請求の日の翌日である平成七年一一月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
(一) 主位的請求
(1) 請求原因(一)(1)の事実のうち、被告が営業として銀行取引を行っている会社であることは認め、その余は知らない。
(2) 同(2)の事実は認める。
(3) 同(3)の事実は知らない。
(二) 予備的請求
(1) 請求原因(二)(1)ないし(3)の各事実は認める。
(2) 同(4)の事実は知らない。
3 抗弁
(一) 代理人に対する弁済(主位的請求に対して)
(1) 被告は、平成五年一〇月二五日、陽のために受領することを表示している甲野に対し、本件預金の元利合計五二四一万五五六三円を本件小切手の振出交付の方法により払い戻した。
(2) 陽は、これに先立って、甲野に対し、陽に代わって本件預金の支払を受ける代理権を授与した。
(二) 民法四七八条に基づく免責(主位的請求に対して)
(1) 被告は、平成五年一〇月二五日、本件預金の通帳及び届出印鑑を所持していた甲野に対し、本件預金の元利合計五二四一万五五六三円を本件小切手の振出交付の方法により払い戻した。
(2) 被告は、本件預金を甲野に払い戻した際、甲野が陽に代わって本件預金の払戻を受ける権限を有するものと信じていた。
(3) 被告が右のとおり信ずるにつき過失がないことは、以下の点から明らかである。
ア 陽は、当時、東京有隣病院に勤務する医師であり、甲野は同病院の職員で陽の部下であった。
イ 陽が、平成二年一月五日、被告に対し、従前有していた二〇〇〇万円の定期預金と一三〇〇万円の定期預金を解約し、これらを合算して元本三三〇〇万円、一か月満期の定期預金として預け入れた際、手続きはすべて東京有隣病院において甲野が陽に代わって行った。
ウ 右定期預金は、その後、三三回にわたり利息の一部及び他の原資を元本に組み入れながら書き替えられ、最終的に平成五年九月二四日、元本五二三二万七一九三円、満期一か月の本件預金となった。右の書替え手続及び利息の残部の受領は、すべて甲野が東京有隣病院において行った。
エ 陽は、甲野による預金の預入及び書替えの経過を熟知していたにもかかわらず、被告の行員が東京有隣病院において定期預金の増額書替えの礼を述べたのに異議なく対応しており、他に何ら異議の申出をしたことはなかった。
オ 甲野は、平成二年四月以降、被告の陽名義の普通預金口座に毎月振り込まれる給与及び二か月毎に振り込まれる厚生年金の払戻を陽に代わって受領していた。
カ 被告は、平成五年一〇月二五日、甲野に対し、本件預金を払い戻すに当たり、従前の預金預入、払戻と同様に東京有隣病院において、甲野が本件預金の通帳及び届出印鑑を所持していることを確認した上、印鑑照合を行った。
(三) 定期預金約款に基づく免責(主位的請求に対して)
(1) 陽と被告は、本件預金の預入に際し、被告所定の定期預金規定に従うことを合意した。
(2) 被告の「富士自由金利型定期預金(非継続型)規定」6項には「印鑑照合」の表題のもとに「払戻請求書、諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取扱いましたうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害については、当行は責任を負いません。」との規定がある。
(3) 被告は、平成五年一〇月二五日、甲野に対し、本件預金の払戻請求書に押印された印影と届出印鑑との同一性を確認した上、本件預金の元利合計五二四一万五五六三円を本件小切手の振出交付の方法により払い戻した。
(四) 代理人に対する弁済(予備的請求に対して)
(1) 被告は、平成五年一一月一六日、陽のために受領することを表示している甲野に対し、本件小切手金五二四一万五五六三円を支払った。
(2) 陽は、これに先立って、甲野に対し、陽に代わって本件小切手金の支払を受ける代理権を授与した。
(五) 小切手法三五条ないし民法四七八条による免責(予備的請求に対して)
(1) 被告は、平成五年一一月一六日、本件小切手の所持人である甲野に対し、小切手金五二四一万五五六三円を支払った。
(2) 被告は、右支払の際、甲野が陽に代わって本件小切手の支払を受ける権限を有するものと信じていた。
(3) 被告が右のとおり信ずるにつき過失がないことは、以下の点から明らかである。
ア 被告には、甲野に対する本件小切手の振出に関し、前記(二)(3)のとおり注意義務違反はない。
イ 本件小切手の支払は、振出からわずか二二日後にされており、この間、甲野の権限に疑いを生じさせるような事情の変化はない。
(4) したがって、被告の利得は消滅したこととなり、原告は利得償還請求権を有しない。
(六) 他の相続人の存在(主位的請求及び予備的請求に対して)
陽の相続人としては、原告のほか、陽の実弟浅羽眞次(相続分八分の一)、陽の養親亡淺羽えの養子である浅羽幸子及び淺羽えの実子である参加人(各相続分一六分の一)がいるから、原告は、本件預金債権及び損害賠償請求権のうち、自己の法定相続分四分の三を超える部分については権利を有しない。
4 抗弁に対する認否及び原告の主張
(一)(1) 同(一)(代理人に対する弁済)(1)の事実は知らない。
(2) 同(2)の事実は否認する。
(二)(1) 同(二)(民法四七八条に基づく免責)(1)の事実は知らない。
(2) 同(2)の事実は否認する。被告は、甲野が、陽の部下として、東京有隣病院において、陽の管理の下に単なる預金預入、書替え等の陽を害するおそれのない現状維持的な事務のみを代行する者であり、本件預金の払戻の権限を有しないことを知っていた。
(3) 同(3)ア及びイの各事実のうち、陽が被告に対し三三〇〇万円を一か月満期の定期預金として預け入れたことは認めるが、手続きをすべて甲野が東京有隣病院において行ったことは知らない。(3)ウ、エ、オ及びカの各事実はいずれも知らない。なお、被告は、五〇〇〇万円を超える本件預金の払戻に当たり、わざわざ東京有隣病院に出向きながら、本人の意思を確認しなかったのであって、被告が右払戻につき無過失であったとはいえない。
(三) 同(三)(定期預金約款に基づく免責)の事実はいずれも知らない。
(四)(1) 同(四)(代理人に対する弁済)(1)の事実は知らない。
(2) 同(2)の事実は否認する。
(五)(1) 同(五)(小切手法三五条ないし民法四七八条による免責)(1)の事実は知らない。
(2) 同(2)の事実は否認する。
(3) 同(3)イの事実は知らない。なお、被告の担当者である茗作敏明(以下「茗作」という。)は、従来からの取引を通じ、本件小切手の正当な所持人が陽であることを知りながら、その意思を確認することなく、本人以外の者に支払ったものであるから、被告には故意又は重大な過失がある。
(六) 抗弁(六)(他の相続人の存在)の事実は認める。ただし、被相続人陽の遺産分割は未了であるから、本件預金は共同相続人の共有又は合有に属し、原告は、被告に対し、保存行為又は管理行為として、本件預金の全額を請求できるところ、本件においては、参加人が自己の法定相続分に対応する三二七万五九七二円について請求しているから、原告は、右金額を控除した残額についてのみ請求するものである。遺産に属する金銭債権が共同相続人間の法定相続分に従って分割債権となるとする従来の最高裁判例は遺産分割の実態を無視した誤りを犯している。
二 参加人の請求について
1 請求原因
(一) 主位的請求
(1) 前記一1(一)と同じ。
(2) 参加人は、陽の養親である亡淺羽えの実子であるところ、陽には、原告及び参加人のほか、一3(六)のとおり相続人がいるから、参加人の相続分は一六分の一である。
(二) 予備的請求
前記一1(二)と同じ。
(三) よって、参加人は、被告に対し、主位的に、本件預金の元利合計額のうち参加人の相続分に相当する三二七万五九七二円及びこれに対する弁済期の翌日である平成五年一〇月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を、予備的に、利得償還請求権に基づき右三二七万五九七二円及びこれに対する請求の日の翌日である平成七年一一月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
(一) 主位的請求
(1) 前記一2(一)と同じ。
(2) 請求原因(一)(2)の事実は知らない。
(二) 予備的請求
前記一2(二)と同じ。
3 抗弁
前記一3(一)ないし(五)と同じ。
4 抗弁に対する認否
前記一4(一)ないし(五)と同じ。
第三 証拠<省略>
理由
第一 原告及び参加人の主位的請求について
一 請求原因(一)(1)の事実のうち、被告が営業として銀行取引を行っている会社であることは当事者間に争いがなく、証拠(丙一)によれば、原告は陽の妻であることが認められる。そして、同(2)の事実は当事者間に争いがなく、証拠(丙一ないし三)によれば、陽が平成六年一月二日に死亡し、原告(相続分四分の三)のほか、陽の実弟である浅羽眞次(相続分八分の一)、陽の養親亡淺羽えの実子である参加人(相続分一六分の一)及び亡淺羽えの養子である浅羽幸子(相続分一六分の一)が共同相続したことが認められる。
二 まず、抗弁(二)(民法四七八条に基づく免責)について判断する。
1 証拠(甲二の2、乙二、五、八、証人甲野花、証人茗作敏明)によれば、抗弁(二)(1)(2)の事実を認めることができる。
2 抗弁(二)(3)ア及びイの各事実のうち、陽が被告に対して三三〇〇万円を一か月満期の定期預金として預け入れたことは当事者間に争いがなく、以上の認定事実と証拠(甲一の2、二の2、三、乙四の1ないし7、五、六の1ないし3、七の1ないし3、八、証人甲野花、証人茗作敏明)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
(一) 甲野(昭和二〇年生)は、以前結核に罹った際の主治医であった陽の勧めにより、昭和四一年八月、陽の勤務する東京都世田谷区船橋二丁目一五番三八号所在の東京有隣病院の臨床検査士となり、陽とは、平成二年四月ころに陽が同病院を退職するまで、職務上指導を受ける関係にあるとともに、陽が平成五年七月二三日に脳梗塞で入院する直前まで二〇年以上にわたって肉体関係を結んでいた。
(二) 陽は、以前より被告に大口の定期預金を有し、昭和六三年四月五日には二〇〇〇万円を定期預金として預け入れ、三か月ごとに自動継続(利息受取型)扱いで書き替えていたが、これを妻である原告には秘匿して甲野と二人だけの預金とするため、届出住所を東京有隣病院の前記所在地とし、原告の肩書住所地にある陽の自宅への通知を省略する通知不要扱いを被告に申し出ていた。そして、陽は、平成元年八月ころ、甲野を被告の担当者に引き合わせ、今後、右定期預金の預入等に関する手続を甲野に一任する旨述べたが、そのころ、被告の担当者が右定期預金に関し陽の自宅に通知したことから、原告にその存在を知られるに至った。これをきっかけとして、陽は、甲野に対し、定期預金を解約した上その解約金を無記名債権にして甲野に保管させ、陽が死亡したときはこれを甲野に取得させる旨提案したが、当時大口定期預金の方が利率が高かったことから、甲野の助言により、結局、定期預金として継続することとした。
(三) 陽は、平成二年一月五日、甲野に指示して、被告に対し、右定期預金の通帳の喪失届を提出するとともに、これを解約して別口の定期預金一三〇〇万円の解約金と合算した三三〇〇万円を新たに一か月満期の定期預金として預け入れ、同年二月五日、これを三か月満期の定期預金とした。その後、甲野は、被告との間で、同年五月八日、右定期預金の期間中の利息全部に他の資金を加えた元本三九一四万八七五一円、一か月満期の定期預金としたのをはじめ、同年六月一一日に元本三九三〇万円の、同年七月一一日に元本四〇一八万八〇〇〇円の各定期預金に書き替えるなど、満期の都度、合計三四回にわたり、一ないし三か月ごとに元本を増額しながら書き替えを行った結果、平成五年九月二四日、元本五二三二万七一九三円、一か月満期の本件預金となった。
(四) この間、平成五年五月二四日預入分から、陽の届出住所を従前の東京有隣病院の所在地から陽の自宅に変更する手続がとられた上、別の口座番号に切り替えられたが、従前の口座の解約元利金を原資とするものであり、新旧の定期預金口座の預金通帳や届け出印鑑は甲野が一貫してこれを保管し、書替え手続等の一切も、甲野が被告の担当者との間で東京有隣病院内において行った。また、甲野は、陽の依頼により、東京有隣病院を退職後の陽に給付される厚生年金や再就職先の相模厚生病院からの給与が振り込まれる被告の普通預金口座二口も管理し、振込金を払い戻しては、陽に交付したり、定期預金の書替えの際に元本の追加原資としたりしていた。
(五) 被告は、平成五年九月二〇日ころ、甲野から前記のとおり本件預金となる直前の定期預金を満期解約したい旨の申出を受けたため、従前から右定期預金の書替え等に関与していた得意先係の小池直也(以下「小池」という。)が上司の茗作とともに東京有隣病院に赴いて甲野と面会した。その際、甲野は、金利が低いため陽の意向により解約したいとの説明をしたが、小池らにおいて、できる限り高い金利を付けるので満期後も定期預金として継続するよう説得したところ、甲野は解約を思いとどまり、その申出に基づき、前記のとおり、同年九月二四日、一か月満期の本件預金として書替えが行われた。
(六) しかし、甲野は、平成五年一〇月二〇日ころ、被告の小池に対し、本件預金を満期解約したい旨再度申し入れたため、被告は、前回の経緯からこれに応ずることとし、同年一〇月二五日、小池において、本件預金の元利合計額五二四一万五五六三円を小切手金額とする被告振出の本件小切手を持参して東京有隣病院内に赴き、甲野と面会した。そこで、甲野は、払戻請求書に陽名義の署名をし、所持していた届出印を押捺した上、これを預金通帳とともに小池に交付して本件小切手を受領し、同年一一月一六日、本件小切手を被告に支払呈示して小切手金の支払を受けた。
(七) この間、被告に対し、陽の定期預金に関して事故届が提出されたことはなく、甲野が手続き一切を行うようになった平成元年八月ころ以降に、被告担当者が、東京有隣病院内において陽及び甲野と会った際にも、陽から何ら異議の申出を受けなかった。
(八) 甲野は、陽が前記のように平成五年七月二三日に入院した以降も、毎日見舞いを欠かさなかったが、陽の容態は次第に悪化し、同年一〇月二〇日ころからは挿管による呼吸管理が行われ、会話もできないような状態となり、平成六年一月二日に死亡した。しかし、被告は、平成五年一〇月二五日に本件小切手を甲野に交付した当時においては、陽の右のような病気入院の事実や容態については全く認識していなかった。
3 以上の認定事実に照らすと、本件預金の払戻は、中途解約ではなく、満期解約に伴うものである上、預金通帳と陽の届出印を所持し、かつ、右届出印を押捺した払戻請求書を提出して払戻を求める甲野に対して、本件小切手の振出交付の方法により行われたものである。確かに、本件預金は五二〇〇万円余の多額の定期預金ではあるが、陽は、右払戻時より四年余り前に甲野を被告担当者に引き合わせ、今後、定期預金の預入等に関する手続を甲野に一任する旨述べ、通知不要扱いの申出をしているばかりでなく、その後、平成二年一月から本件預金の解約時である平成五年一〇月までの間、三四回にわたって、甲野の長年の職場であり陽もかつて在職していたことのある病院内において、甲野により定期預金の書替え手続が繰り返されてきており、これに対して陽は何ら異議の申出もしていない。もっとも、陽は本件預金払戻時から約三か月前には病気入院し、容態も次第に悪化して右払戻当時には会話もできないような状態であったが、被告は、この点について全く認識していなかったのであり、さらに、甲野は、陽の定期預金の管理のほか、同人の年金や給与が振り込まれる被告の普通預金口座も管理していたなど前記認定のような諸事情を総合勘案すれば、被告が、平成五年一〇月二五日に甲野に対し本件預金の払戻をした際、陽本人の意思確認をせず、甲野が陽に代わって右払戻を受ける権限を有するものと信じたことについて過失はなかったというべきである。
なお、全国銀行協会連合会において発行する「麻薬等の不正取引から得た資金の洗浄(マネー・ロンダリング)の防止についてのお客様へのお願い」と題する書面(丙四)において、一件当たり三〇〇〇万円以上の大口取引をする場合には銀行は本人確認をしている旨の記述があり、証人茗作敏明によれば、被告においても通常はこのような取扱をしていることが窺われる。しかしながら、このような確認は、不正資金の流れを明らかにしマネー・ロンダリング(資金洗浄)を防止する目的の下に、本人が実在するかどうかの確認を中心に行われるものであって、預金者の取引意思を確認する趣旨に出たものではないから、前記認定及び判断を左右するものとはいえない。
三 したがって、原告及び参加人の主位的請求は理由がない。
第二 原告及び参加人の予備的請求について
一 請求原因(二)(1)ないし(3)の各事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、抗弁(五)(小切手法三五条ないし民法四七八条による免責)について判断する。
1 被告が、平成五年一一月一六日、本件小切手の所持人である甲野に対し、本件小切手金五二四一万五五六三円を支払ったことは前記認定のとおりである。
2 そして、本件小切手の振出交付について被告に過失がなかったことは前示のとおりであるから、右小切手金支払いの日までの二二日間に、被告において甲野の権限を疑うべき事情が生じたか否かについて検討する。
証拠(甲二の2、乙八、証人甲野花、証人茗作敏明)によれば、平成五年一一月五日、原告が被告に対し電話で厚生年金受取口座とされている普通預金口座の預金通帳を保管していないかとの照会をした際、陽が入院中で通帳が所在不明になっている旨説明したが、陽が前記のような重い容態にあることや、本件預金が先に満期解約されたことなどについては何ら言及がなかったこと、同年一一月一六日に甲野が本件小切手を現金化しようとした際、被告担当者の茗作から小切手の裏面に甲野の署名押印をするよう求められたが、甲野は、本件小切手は陽が預金者である本件預金の払戻として受領したものであり、かつ、従来から陽の定期預金の書替え等に当たっては同人の名義で行ってきた旨述べて、本件小切手の裏面に陽名義の署名をし、届出印を押捺したことが認められる。このような事実関係にかんがみると、被告による本件小切手の振出交付時から小切手支払の日までの二二日間に、被告が甲野の権限を疑うべき事情が生じていたとはいうことができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
なお、証拠(甲二の2、証人茗作敏明)によれば、茗作は、本件小切手を受け戻した際、その裏面に、本人確認用のチェック事項を記載したスタンプを押捺し、本人確認の欄に確認済みと、確認方法の欄に面識ありとそれぞれ印を付していること、これは茗作が甲野に意思確認をし、かつ、甲野と面識があるとの趣旨であることが認められるが、被告において甲野の本件小切手金受領に関する権限を疑うべき事情が生じていない本件事実関係に照らせば、このような記載自体は、被告の無過失を左右するに足りる事由であるとはいえない。そして、証拠(乙八、証人茗作敏明)によれば、銀行実務においては、持参人払い式の銀行振出自己宛小切手(いわゆる預金小切手)の場合、小切手の支払呈示期間を経過した後であっても、事故届の提出等の事情がない限り、その所持人に対して小切手の交付を受けるのと引換えに小切手金の支払に応じるのが通常の事務処理とされていることが認められるから、以上によれば、被告において甲野が陽に代わって本件小切手の支払を受ける権限を有するものと信じたことについて過失があったとはいうことができず、他に無過失を疑わせるに足りる的確な証拠もない。
三 したがって、原告及び参加人の予備的請求は理由がない。
第三 結論
よって、原告及び参加人の各請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官篠原勝美 裁判官生島弘康 裁判官岡崎克彦)